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ダンスが表現者としての原点
そんな彼女は、中学生1年からダンススクールに通い、ダンス漬けの日々を送っていた。父いわく、お腹にいるころから聴かされていたソウルミュージックは今や身体に染み込んでいる。ダンスを始めたのは父の影響があったという。
「部活にも入らずにダンススタジオに行っていました。ポッピンというストリートダンスなんですけど、簡単に言うとロボットダンス、アニメーションのような感じです。私が好きなのは、ジョージ・クリントン、シャラマー、バーケイズ、Pファンクとか。ソウルとかファンク、ディスコミュージックが好きです」
思春期になり、親とは話す機会が減ったがその間を取り持ったのが、音楽だった。そして、「師匠」と心から慕うのは当時通っていたダンススタジオの先生だという。ここで学んだことは多くあった。そして、女優・仁村紗和の基礎はこのときに見えていた。
「先生が言う言葉は温かくて、その時の私にはグサグサと刺さることが多かったんですよね。その人の言葉だけは受け入れられていました。いろんなことを教わりました。例えば、踊っている途中で衣装や髪が乱れたりしても直してはいけないとか。そうしてしまうと空気感が崩れてしまうので。プロじゃないですけど、そういう意識を学びました。その頃から表情を作ることや動作一つひとつ、空気感を大事にするという意識が身についていきました。ダンスをやっていて良かったなと思うことはいっぱいあります。身体で表現する事には何ら変わりはないので。例えば、目の前にあるペットボトルの水を取る時って、自分がこういう態勢になっているとかって思わないじゃないですか? 自分がどういう態勢になっているとかって考えたりしませんよね。でも、ダンスをやっていると、動きが、自分が今どういう体の形で、どういう風に見えているかというのが大体わかるんですよ。鏡を見て練習していたので。だから、カメラに映ったときに自分がこうしていたら綺麗な所作に見えたり、ガサツな役だったらこういう感じだったらガサツに見えるなとか。そういう自分の身体のことは分かっているつもりではいたので、やりやすくは感じていますね。ダンスやっていてよかったなとそこで思います」
そんな表現者の原点でもあるダンス、そしてソウルミュージック。今でも父とソウルバーに出かけるという。
「ソウルミュージックは歴史があるからソウルフルですよね。パワーがありますよね。それに惹かれます。音楽もそうですし、ダンスも。極端に言えば、言葉はいらないじゃないですか。ソウルって特にそうだと思っていて。今でも父とソウルバーに行くんですよ。その時は全く喋らないですよ。言葉が必要なくて。お酒をは何時間もかけて飲むんですけど、それを飲みながら喋らずずっと音楽を聴いている。『この音楽良いよね』とか言いながら。たまにしゃべるのはそれぐらいで。たぶん同じ気持ちになっていると思いますね、お父さんも。踊りたいときにお父さんは踊りに行って、私も好きな曲が掛かったら踊りに行ってみたいな感じです」
お芝居では自分も「よーい、スタート!」が掛かるまであまり入れないタイプだといい、撮影現場に立ち相手の芝居と噛み合わせないとわからないとも。 どこか“ライブ”に近い感覚だ。一方で好きな音楽が鳴ったら自然と体が動くという。彼女のルーツはやはりそこにある。ともあれば将来は歌手も期待されるが…。
「歌は…あまり得意ではないんですよ。歌うのは好きなんですけど…。面白い音痴だったらいいですけど、あまり笑いが起こらない、絶妙なところを攻めているので。歌が上手い人の横で踊ったら良いかもしれませんね。ダンスはどこでも出来ますし、楽しかったら良いと思いますので、おばあちゃんになるまで続けたい。父はまだおじいちゃんという歳ではないですけど、ずっと踊っていますからね、父みたいに」
父を語るときの表情は“女優”の顔はなく娘のように緩む。そんな彼女は、自身を「お世話好き」とも語り「楽観主義」とも述べている。「辛いことも試されているなとか、学ばせてもらおうと思っています」とポジティブだ。将来の展望は?
「いろんな役をやって、映画にもっと出たいです。それと、ずっと楽しんでダンスが出来たら良いなと思います」
「鶴」で注目を集めた彼女は今、ダンスで鍛えた脚力と表現力をもって、今、羽ばたこうとしている。
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