甲子園でライブがしたい、宮田悟志 怪我で諦めたプロ野球への道
INTERVIEW

甲子園でライブがしたい、宮田悟志 怪我で諦めたプロ野球への道


記者:桂泉晴名

撮影:

掲載:17年07月02日

読了時間:約13分

野球から歌の世界へ

宮田悟志

――宮田さんがシンガーになるまで野球をやっていましたと聞いています。それまでの道のりを教えてください。

 小学校3年生から大学まで野球をやっていて、プロ野球選手を目指していました。でも大学の後半はずっとケガに悩まされていて。4年生のときはほぼ体が動かない状態で、シーズンをまともに過ごせなかったんです。スポーツ選手にはよくあることだと思うのですが、ケガで断念するのは一番悔いが残るというか。自分の中ではすべてを出し切れていなかったので、その後、いろいろセレクションを受けてみようと思って、1年間だけ野球留学で全国を回っていました。

 だけど結局、ケガもだましだましやっていて、自分が思うパフォーマンスが最後はできなくなって。これで最後にしようと、新しく立ちあがった独立リーグのセレクションを受けましたて。そこでは最終まで残ったものの、結果は不合格。「これでもうダメだったらあきらめよう」と思って臨んでいたので、落ちたことによってあきらめがついて、「仕事しよう」という気持ちになりました。

 最後の1年でちゃんと区切りがをつけられました。僕の同級生の中の何人かは今もプロでやっているんですが、自分が思っていたよりもそういう人たちを応援する側に思い切り切り替えることができて。

 そこからアパレルの会社に入りました。1年間働いていたのですが、もう1回刺激がほしいと思って。「何か習ってみたいな」といろいろ探していたときに、ちょうど広瀬香美さんの音楽学校があって。音楽が好きだったので、仕事が休みのときに体験で行ってみたんです。そうしたらボイストレーニングが楽しそうで通い始めました。でも初めて広瀬香美さんのレッスンを受けたとき、「あなたの歌、ちょっとつまらないわね」みたいに結構ストレートに言われてしまい…。それがのちに愛だと分かるんですけれど(笑)。

――かなり厳しく指摘されたんですね。

 「広瀬さんの前でいい歌を歌いたい」といった邪念が先行して、気持ちや思いではなく技術に走っていたんだと思います。そこを指摘されて。悔しくて、スイッチがまた入りました。あと、その授業で広瀬さんが弾き語りで歌ってくれたんですよ。その歌を聴いて衝撃を受けて、「僕もこういう歌を歌いたいな」と。そこから僕は広瀬さんに「本気でプロを目指そうと思います」とメールしました。

――広瀬さんからはどのような返事があったのでしょうか。

 「私の歌を聴いてそういう刺激を受けてくれてうれしいし、私ができることは応援します」といったお返事をいただきました。広瀬さんのメールには、いつも最後に「愛しているよ」と書いてあるんです(笑)。

 アメリカに住んでいらっしゃるので、そういうのもあるんじゃないかと。そこからアーティストを目指すようになり、オーディションをいくつか受けるようになって、そこからちょうど1年半後くらいに『EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 2 ~夢を持った若者達へ~』を受けました。

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