無邪気な型を使い、人間の不気味さを歌う
――今回のアルバムにはキーワードになる曲がたくさんありますが、まずはMVにもなっている「わらべうた」について。エレクトロニックで浮遊感があるのに、不穏な歌詞の曲です。
ハルカ わりと最初の方に原型があったのですが、曲が出そろった後、本格的に歌詞にとりかかりました。「わらべうた」の詞がああいう形で書けて、しかも1曲目にもってくる、みたいなところで「今回のアルバムはここまでやっていいんだ」みたいなものが決まったような気がします。
――先程大人でも子どもでもない年齢、というお話が出ましたが、「わらべうた」ではあえて子どもにかえったのでしょうか?
ハルカ 無意識ではありました。わらべうたは子どものものだけれど、どこか不気味なところがあるじゃないですか。大人になってしまってからの生活や日常のなかでは、その不気味さはいろいろと隠されていると思うのですが、今回「わらべうた」という無邪気な型を使って、人間の根源的な不気味さを歌ってみたいな、という思いはありました。
――「わらべうた」を書いてアルバムの輪郭が見えてきたのでしょうか?
ハルカ 「わらべうた」と「近眼のゾンビ」の2曲が、私の中で歌詞もサウンドも、ものすごく振り切っていたので、今回の作品は本当に振り切ってみよう、とは思いましたね。
――ここまで言い切るのは、ご本人の中では勇気が必要でしたか?
ハルカ たぶん昔からそういうことをやりたかったのですが、まだ形にできなかったりとか、表現が追い付かなかったりする部分があったと思う。でも、今だったらそれを作品に昇華して、想いをちゃんとのせられるかもしれないと思って、だから本当にあえて振り切ってやり切りました。
――ミユキさんはこの2曲について、どう感じましたか。
ミユキ この曲はハルカが言うように、昔からやりたかったことで、それだけが出てしまうとバランスが取れなくなってしまうけれど、他の10曲も並べてちゃんとアルバムになったので、この2つの楽曲に音楽も言葉もやっと追いついたんだと思います。
――そして「わらべうた」で出てきた言葉が他の曲にも影響を与えている印象を持ちました。それこそ「終わりの始まり」には<もういいかい まあだだよ>というかくれんぼのフレーズが入っています。
ハルカ それも無意識に<もういいかい まあだだよ>が出てきた。あとで並べてみたときに「わらべうた」と「かくれんぼ」ができて、それでおとぎ話を意味する「Fairy Trash Tale」があって。無意識の中にそういうことがあったのだな、と並べてみて初めて思いました。
――今回の曲を聴いて、日本的土着感は改めてゾクゾクするものだと思いました。
ハルカ 私は結構、不気味なものが好きなのですが(笑)。怖いものみたさというか、きれいな、清潔なものを見すぎていると、逆に怖くなってしまう。その潔癖で清潔なものの裏側に恐怖心があるんです。今はたぶん、世間もどんどん悪いものを排除しようとしている。でも、行き過ぎると本当に怖いことだと思います。だったら汚いもの、不気味なものを認めてさらけ出せた方が、人間として健全なのではないかな、という気持ちはあります。
――「Fairy Trash Tale」には<簡単に、手にしたのは 薬で消毒された純白>とあって、まさにその気持ちを歌っていますね。
ハルカ それこそ人間臭さというか、もっと本当はグチャグチャじゃない? ということを歌では書きたい。大人になるにつれて押し殺していたものや、言っちゃいけないことが、どんどん増えてきていて。みんながどこかで思っているのだけれど言わないこととか、思っていたのに忘れてしまったこと、みたいなものを言葉にしてあげたいな、という気持ちで書いています。私も歌を聴いたときに、「私が思っていることをなんで分かるの?」という感覚になって救われた人間だったので。
曲に匹敵する詞があるから成り立つ
――ちなみにアルバムタイトルは『溜息の断面図』となっていますが、どういう意味を込めましたか?
ハルカ みんな本当は怒りや悲しさなどいろいろあるはずなのに、溜息で済ませておかないと生きていけない。でも「今ついた溜息は、本当はこういうことなんだよ」と言ってもらえたらすごく救われるし、溜息にしかならないようなことを言葉にするのが、私にとって歌であり、歌はそういうものであって欲しいとすごく思っていて。
その自分の溜息からは、目をそらさないで掘り下げていって、それこそ本当に「溜息を切って言葉にした」そういうふうに受け取ってもらえたらいいな、と考えてこのタイトルにしました。
――今回はポップなアプローチの曲も入っていますね。とくにミユキさん作曲で軽快なメロディの「インスタントラブ」にそれを感じました。
ミユキ さきほどハルカが言ったように、2人とも音楽の趣味は本当に違っていて、私はORANGE RANGEを聴いて青春時代を過ごしました。そのあと一昨年に80年代のニューロマンティック(パンク後に英で誕生した“ニュー・ウェイブシーン”から派生した音楽ジャンル)のヒューマン・リーグ(英バンド)を聴いて「この斬新な音楽はなんだ!?」と思いました。
出てくる人はきれいな男の人だし、本当にいろいろなことに衝撃を受けて。それを聴いたときに、「私はもっと自分のこと出していけるかも」と思って、2014年の時点で楽曲の幅が広がり、そこからライブをやるにあたって、みんなと盛り上がる部分と、ちゃんと言葉を聞かせられる部分という、2つの見せる面ができました。「インスタントラブ」はこのアルバムの中では、自分がやりたいことをやった楽曲です。
あと、ハルカは明るい楽曲に歌詞をのせたときの言葉遊びみたいなものがすごく面白い。去年出したアルバムでもやったのですが、それこそ“ハルカ”と“ミユキ”の個性がぶつかって、化学反応で起きた楽曲だと思うので、毎回やっていきたいと思っています。
――「わらべうた」が最初にきても大丈夫というのは、こういう曲があるからこそですね。
ハルカ そうですね。そこはバランスとってくれているし、ミユキのポップな側面がくると、私はいい意味で「これぶち壊してやろう」みたいな気持ちになります(笑)。このまま私が楽しいことを歌っても、なにも面白くないから。逆に私が書いた詞を暗い曲で歌ってしまうと、本当にただ救いがないことになってしまう。そういったミスマッチ、違和感や異質感は常に大事にしてきています。
――あと同じメロディが繰り返される「WILL(Ending Note)」も挑戦的な楽曲です。
ミユキ 私自身、今回すごくハルカトミユキというもの自体に寄り添った上で作った曲です。激しい怒りではなくて、静かな怒り。それが怖いということを、ハルカがずっと曲にしてきていたので、それを私も曲にしようと思って作りました。新しい一面が見せられたかな、とはすごく思っています。
一度、2人で「このアルバムをどういうテーマで作ろうか」という話し合いをしました。そのときに怒りだったり攻めたものをつくる上では、最初は語るのもいいのではないか、と言っていて。2月のライブで楽曲をやる前に、ピアノでポロポロって入れながら、ハルカが朗読するシーンがあったときに「これはヒントだ」と感じていました。たとえばAメロを語ってサビでちゃんとメロディがあるようなものがあっても、今回の作品はいいのではないか、と考えて作り始めたのですが、結果的にそのサビにあったものがAメロになり、また新たなサビができて今の形になりました。
ずっと同じメロディが続くものって、頭の中にこびりつくから強みだとは思う。でも、そこに匹敵するような強い歌詞がないと成立しない。だからこの歌詞がはまらなかったら、絶対にここまで強いものにはならなかったと思っています。
――ハルカさんは前作でミユキさんの曲に歌詞をのせることで、苦労されたそうですが、「WILL(Ending Note)」に関してはいかがでしたか。
ハルカ 短いメロディがずっと連なっていくので、最初はどうしようと思ったのですが、まずミユキのデモになんとなく入っていた「存在」という言葉で続けてみようと。それは歌詞というよりも、文章で読んだときにもちゃんと詞として成立するような、自分に対する挑戦でもありました。それで書き始めたのですが、最終的に「WILL(Ending Note)」という、遺書、自分が最後に書きたいこととか、言いたいことって何だろうというところにもっていこうと考えて。
それで考え始めたらすごくシリアスな雰囲気で、そういう言葉が並ぶのですが、一番光が見えるような曲になったかな、と思っています。最終的に残したいものは希望だったし、未来に向けての意思だなと。
――詞と曲が融合するようになったんですね。救いというのは、最後の「種を蒔く人」がまさに救いの曲だと思いました。
ハルカ これは「WILL(Ending Note)」と対になるようなイメージがあります。「WILL(Ending Note)」が逝ってしまう人だったら、「種を蒔く人」は残された人。種を蒔くのは、希望の行為であって。咲くかどうか分からない種を毎日蒔きながら、みんな生きていて、それ自体が希望であると思っています。
私はずっと闇の中の光とか、絶望の中の希望を歌いたいと言い続けてきた。しかもそれは表面的な簡単な励ましではなく、ちゃんと苦しみを通り抜けた上で、そこにしっかりと希望があるものを。この曲でそれはできたかな、とは思います。
最終的に伝えたいのは愛や希望
――最終的に救いを感じるアルバムだと思いました。
ハルカ アルバムを通してどんなに怒って、どんなに攻めていても、それがむやみな攻撃ではないし、私は全部希望や愛であってほしい。その表現の仕方が怒りであったり、攻めるということであるだけ。聴いた人には絶対救われて欲しいという気持ちはすごくあります。
――作品を通してどんな成長があったと思いますか。
ミユキ 自分がハルカトミユキというもの自体に寄り添った曲をようやく作ることができたので、そこはすごく大きいなと思っています。これからも、私が寄り添うことでまたハルカの引き出しになかった言葉が出てきてくれたら、それはすごく嬉しい。
自由にやる部分と、ちゃんと寄り添って作る部分が自分の中で操作できるようになったと思っています。私は新しい音楽を聴くことがすごく大好きなので、「これは合うな」と思ったら、どんどん発見して作っていきたい。今、精神的にはすごく楽しいです。
ハルカ 初期衝動じゃないですが、あのときは自分が誰にも分からなくていいと思いながらも、心の底では全部分かって欲しいと本当は思っていて、矛盾した心を抱えたままでステージに立っていました。口で言えないことを書いて伝えるのが、私にとって歌でした。
でも、今だったらもう少し違う伝え方ができるし、だからこういう作品ができたと思います。ステージパフォーマンスでも、もしかしたら突き放すようなパフォーマンスになったとしても、今のハルカトミユキとしても伝え方の一つであって、そこにはやっぱり愛があります。みんなに感じてほしいものを、やっと今、曲としてもライブとしても見せられるかもしれないと思います。
――6月28日・29日・30日はレコ初3days2マンライブ、そして9月2日には日比谷野外大音楽堂でのライブがありますね。
ハルカ 6月末のライブは全部2マンなのですが、私2マンが大好きで。アウェーのときは燃え盛る闘志みたいなものがすごくあります。尊敬する相手であり、ライバルであり、そこは音楽でぶつかっていくことが一番の敬意であると思っているので。ワンマンでは見られない3日間であると思っています。
野音は野音で、ワンマン3回目をやらせてもらうのですが、すごく特別な場所なので。サウンドは重たい曲が多いですが、絶対外に開いているんだよ、ということを感じてもらいたいです。
(取材=桂泉晴名/撮影=冨田味我)