1曲1曲楽しく届ける、メロフロート 自分達の殻を破る“道標”
INTERVIEW

1曲1曲楽しく届ける、メロフロート 自分達の殻を破る“道標”


記者:村上順一

撮影:

掲載:17年05月12日

読了時間:約15分

メロフロート

47都道府県ストリートライブの記憶を辿る

――47都道府県を回って、一つの県でCDを100枚を売らないと次の県に行けないという誓約があるんですよね。

KENT そうなんです。もう「誓約のグループ」ですね(笑)。

――現在続行中のツアーですが、今終わっている44都道府県の中で思い出に残っている地域は?

KENT やっぱり九州地方ですね。佐賀県が一番インパクトがありました。「まあ、あまり人はいないだろうな」と思っていったんですけど、“いない”の桁が違い過ぎて(笑)。5分に一人ぐらいしか通らないくらいだったんです。僕らの計算では3日間で100枚のCDを届けるという設定だったので、時間計算したら「無理ちゃう?」ってなって(笑)。

 初日は予想通り20枚ちょっとで、あと2日間どうしようってなったですけど、路上ライブをしに来ている人がいるというのが珍しかったみたいで、TwitterとかのSNSで拡散してくれて2日目以降はグンと増えました。学生の人達が集まってくれて。結果的にはちゃんと佐賀県でも3日間で100枚届ける事が出来たんです。

Yu-Ki 47都道府県を回り始める最初の地域が九州からだったので、どうしても九州の思い出が浮かぶ事が多いですね。やった事が無い事を一番初めにやった地域という事で。東北の地域がキツかったのと良かったのと両方の思い出があります。岩手県はキツかった…。

 暗くなるのが早かったんですよ。街灯とかもあまり無くて。商店街のシャッターが降りているあたりでやったんですけど、本当に今こうして話しているくらいの距離感で歌っていたんです。

――1メートルぐらいですね。だいぶ近い(笑)。

KAZUMA 人が立ち止まるにも止まれない距離だったよね。

Yu-Ki あと青森県も、僕らが行った時は台風が来ていたんです。2日目の夜から台風が来ていて「3日目出来ないな」という感じだったんですけど、とりあえず弘前駅に行ったんです。そうしたら1、2日目に来てくれていた人達が来てくれて、たくさん喋りかけてくれて、立ってるだけでCDが売れたんです。

――歌わないで?

KENT そんな事もあったね。島根でもそういう事なかったっけ?

Yu-Ki 駅から徒歩1分くらいの所に僕らが泊まっていたホテルがあるんですけど、そこに行くためには僕らがライブをやっている場所を必ず通らなければならないんです。それで路上ライブが終わって風呂に入っていたら「さっき観たよ!」と言ってくれる人がいたんです。「CDあとでちょうだい!」という感じで。そんなこんなで最終的に島根県はホテルの中で100枚を完売したんです。

KAZUMA 島根の最後の1枚買ってくれたのはロビーのお姉さんだったね。お友達が僕らのことを知ってたみたいで、ロビーにCDを預けていたんですけど「このCD、メロフロートって書いてあるから来てるのかなと思って。アフロの方がおられるので、まさかそうですか?」と言って、最後の100枚目を買ってくれたんです。

――そういう流れで最後の1枚が売れると記憶に残りますよね。アフロヘアが役に立ったんですね。

KAZUMA そうなんですよ。SNSとかで拡散されてこの頭を見て「あれ? もしかして」と思ってもらえるんです。

――そういう目的もあるんですね。過去の映像を観るとけっこう髪型や色が変わっていますよね。

KAZUMA 面白さを追求し過ぎてこうなりました(笑)。僕、笑ってもらうのが好きなんですけど、顔面には特徴がないと思って。顔をイジるわけにもいかないし、結果的に「アフロなら笑ってもらえるかな?」と思いまして。このアフロを見かけたらメロフロートと思ってもらって大丈夫です。

――それでTwitterはアフロと名乗っているんですね? 最初は偽物のアカウントかと思いましたよ。

KAZUMA (笑)。

KENT ちゃんとプロフィールにはKAZUMAって書いてあるんで(笑)。

――KAZUMAさんの思い出に残った地域は?

KAZUMA やっぱり環境は大事で、雨降られたら終わりなんですけど、埼玉県では3日間雨だったんです。いたる所を移動しながら屋根の下を探していました。

 どうやって100枚完売を達成したかと言うと、東京が近いので何人か応援してくれる方が来てくれたんです。その方々が友達を連れてきてくれたりして繋いでくれたんです。その中で達成出来たので嬉しかったですね。応援してくれる方々に支えられて達成出来たので、埼玉県は思い出に残っています。

――絆で達成した100枚なんですね。残りの3つの県でも良いハプニングがあるかもしれませんね。

KENT そうですね。人の中にある温もりや、人を想う気持ちを学べたツアーでした。どこの地域でもよそ者扱いしないで受け入れてくれる心を持って接してくれたんです。100枚を3日で届けるって過酷な事なんですけど、がむしゃらになってやっている所を観てくれて「胸が熱くなりました。CD買います」って言葉をかけてくれて凄く感動しました。

Yu-Ki 不思議と「売ろう」と思ってやると売れないんです。多分そういうのって空気感や言葉のトーンとかで出るんですよね。向こう側から「入り込んで行きたい」という空気感をこっちから出せるか、ですよね。

 そんなにシビアな空気感を出すために歌っているわけではなく、原点は音楽と歌が好きでやっている事だから、一線を越えて「この1枚のCDを売るために歌っているんだ」と捉えられてしまったら、もうその1枚に価値は無くなると思うんです。曲とか何でもよくなるというところまで行っちゃうと思うんですよ。誓約もある事だし、ヤバいなとなった時はちゃんと一呼吸置いて、1曲1曲を楽しく届けられるように初心にかえるんです。

シングル1枚を通して“旅立ち”がテーマ

KAZUMA

DJ KAZUMA

――「ミチシルベ」は結成した時に作った曲なんですよね? インディーズ時代もリリースされていて。

KENT そうです。Yu-Kiと2人の時に作った曲です。もう4、5年前です。

――インディーズ時代と内容は変わっていますか?

Yu-Ki ちょっと変わりました。トラックも変わったんですけど、歌詞も少し変えました。「ミチシルベ」を最初に2人で作った時は、現状の「ミチシルベ」の内容ほどテーマが織り込まれてなかったんです。当時は「この『ミチシルベ』が今出せる内容の全てだ」と思っていたんですけど、改めてリリースをし直すとなった時に、かなり葛藤があったものの「今しか出せない言葉があるんじゃないかな?」と思ったり、新しく自分の殻を破るという意味でも内容を書き換えて、より多くの人に寄り添える曲に仕上がったんじゃないかなと思っています。

KENT 僕たちはその都度、自分達の歳に合ったテーマの曲を出しているんですけど、今年24歳になって、周りは結婚をする友達が多くなってきていて。そういった意味でも、自分達もそういう歳だし、周りの友達を祝福する気持ちも込められた内容になっているかと。

Yu-Ki このシングルは4月のリリースですし、色んな事に一歩踏み出す時期だから、「ミチシルベ」というのは大切な人と出会ったあの日の事を振り返りながら、これからも一緒に歩んで欲しいという、そんなパートナーの事を思って聴いて欲しい曲なんです。カップリングの「まだガキだけど」は、「地元から一歩踏み出そう。必ず帰る場所はあるから」という思いが込められてるんです。シングル1枚を通して“旅立ち”というテーマで作る事が出来たと思います。自分達のお父さんお母さん世代もスッと入ってこれるような言葉や曲になっていると思います。

――作曲者の「Gouya I」さんとは?

KENT エンジニアの方であり、メロフロートの結成を提案してくれた方なんです。長く関わってくれている方です。

――曲を作る時は皆さんも一緒に?

Yu-Ki そうですね。切磋琢磨していました。他にもこの方が作ってくれている曲が多いんです。最初はメロフロートの曲を作ってくれるのがGouya Iさんしかいなかったので、インディーズの頃もほぼGouya Iさんです。

KENT どれも名曲なんです。その曲が無かったら今の自分達が無かったと思えるくらいです。

Yu-Ki だいぶ人間的なところをみてくれる人なので、僕らがどういう曲を歌いたいかという事をちゃんと見極めた上で曲を書いてくれるんです。この「ミチシルベ」には2人の掛け合いパートがあるんですけど、そこは僕らが「前に出たい」という意識があったので、そこを汲み取ってくれたんだと。ぶつからないように、こういった掛け合いという編成で作ってくれたんだと思います。

――<2人の『ミチシルベ』>という歌詞の『ミチシルベ』を二重括弧にしている意味は?

Yu-Ki まずサビの部分で出てきた言葉をタイトルにしたいと思っていたんです。最初は普通の括弧だったんですけど、それだと少しちゃっちく見えたんです。字面で見た時に何か弱いなと。「それで二重括弧で試そうか?」と当時言った気がします。僕がこだわったところです。

KAZUMA Yu-Kiは字に起こした時の見栄えを大事にしているんです。

Yu-Ki 『ミチシルベ』という言葉を強調したかったんです。ラブソングでもあるんですが、当時は僕とKENTの2人で歌っていたので、この2人のこれからを「この曲で変えて行くぞ!」という思いも込めて、サビの最後に「2人の『ミチシルベ』」というフレーズを使ったという経緯もあるんです。

――最初はパーソナルな曲だったんですね。活動して行く中で KAZUMAさんが加わって、ファンの方達も増えて、大きく広がった上での2人という事ですね。

Yu-Ki そうです。その時は自分達のために歌った「ミチシルベ」だったんですよね。聴いてもらう人に共感してもらいたいという思いもありながらなんですけど。だけど歌詞を書き変えた事によって、聴き手側の目線で歌える曲になったんです。

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