由紀さおり「自分がどうやって生きてきたかで勝負」歌い手としての新たな幕開け
INTERVIEW

由紀さおり「自分がどうやって生きてきたかで勝負」歌い手としての新たな幕開け


記者:村上順一

撮影:

掲載:19年03月21日

読了時間:約15分

日本語のイントネーションで変わる歌の世界観

由紀さおり

――『BEGINNING』は「若い人たちが私の事をどのように認知してくれているのか、今後も歌い続けていくこともあり興味があった」というところから始まったんですよね。

 そうです。ピンク・マルティーニ(米・ジャズバンド)との『1969』を出したあとは、カバーアルバムを4枚出しました。その中でもうテレサ・テンさんの歌を歌ってしまったら、先輩達が歌ってきた曲をカバーするという意味は私のなかにはないなって。チャレンジしたい曲はみんな歌っちゃったような気がしたの。

 今の音楽はリズムが主体なんだけど、日本語ってリズムじゃなくて旋律なので、その旋律をどうみんなが考えているか、私という歌い手をどうみんなが認知してくれているのか、色んなことがあると思うけど、そのなかで手を挙げて「曲を私に書いてみたい」という方がいるのかどうかをチャレンジしたいとディレクターとそういう話になりました。以前に平井堅君の「哀歌(エレジー)」という歌を舞台で歌ったつながりで、私のやっていたラジオの番組のゲストで来てくださった亀田(誠治)さんに今回プロデュースをお願いして、1年という長いスパンで選曲、楽曲作りをしましょうということで始めたのがきっかけでした。

――今回の人選は亀田さんのご紹介でしょうか。

 そうそう。全部彼からアプローチしていただいて。そうしたらかなり早い時期にアンジェラ(・アキ)さんからすぐ作品が来たの。それが「あなたにとって」でした。

――アンジェラさんは「由紀さんのラストソングになれば」という思いを込めてこの曲を書いたと話していましたね。

 それは彼女のなかに私のコンサートの最後を飾る曲になったらいいと思って、「あなたにとって」を書いたということと、「詞の世界は私の人生の一番大きなテーマです」と、頂いたデータの中にメッセージとして入っていたんです。

――嬉しいですよね。さて、「de l'aube a l’aube 夜明けから夜明けまで」(実際の真ん中のaはアキュート・アクセント付きが正式)を作詞・作曲されたハナレグミの永積タカシさんとは直接お会いしてお話しされたそうですね。

 永積さんは曲を書く前に一回私と会いたいと仰ってくださったので、赤坂のコーヒー屋さんでお話しました。そのときに色んなことを話していて、永積さんは「わかった、思った通り」といった感じで、その会った後一週間ぐらいで作品が届きました。ちなみにタイトルの「de l’aube a l'aube~夜明けから夜明けまで~」の「de l’aube a l’aube」というのはワインの名前なんですよ。

――オシャレですね。

 そうなの。歌詞に出てくる女性は自分のベター・ハーフ(妻)か彼女なのかな? その人が旅立ってしまったという悲しみの歌なの。男性の歌詞だから僕という歌詞になっていて、凄く切ない歌だったけど、アルバムのなかではアンジェラさんとは相対した、両極にある歌を頂いたように思いますね。

――他のアーティストの方とも直接お話して制作した曲もあったのでしょうか。

 水野君(いきものがかり・水野良樹)がレコーディングに来てくれてお話しました。実は水野君の「ひだまり」は一回歌を録ったんだけど、亀田さんと私のコラボレーションは初めてということもあって、出来上がったものに対して、もう少し言葉を立ててほしいということがありました。「じゃあもう一回歌うというのはどうですか?」と亀田さんに提案して頂いて、そのリズムに乗っかって言葉を置いていかないと、歌にならないというのは、「ああ、やっぱり若い人ってこうやって歌を作るんだな」というのは思いました。

 「ひだまり」は最初凄く長くて6分くらいあるような歌でした。「歌っている側の気持ちの最後は、聴き手に委ねてもいいんじゃないの? 私はこうなんだ」と、「最後の結末まで歌わなくてもいいんじゃないのかな」と水野君に話したら半分くらいになったんだけど。それはちょっと彼にとっては感情的に言うと尻切れトンボだったのかなとは思いますけど。

――以前あるインタビューで、今の人は日本語のイントネーションを逆にして歌っているというお話を聞いて興味深く感じて…。

 “クラブ”とか“彼氏”とか、それが端的な例だけどみんな後打ちでしょ? 後にアクセントがあるじゃない? 日本語は基本的に頭にアクセントがあって、私の世代は周りの大人もみんなそういうアクセント、イントネーションだったし、今は鼻濁音がないでしょ? 日本語の語感、響きとして鼻濁音が優しいんです。でもみんなは相手にビートを伝えるというところから、「が(アタック音が強い)」と歌った方がそのビートはより相手に強く伝えられる、インパクトとして、鼻濁音にしてしまうと弱いのよ。
――鼻濁音を使って歌った方が曲によっては確かに美しいですね。

 基本的に瀧廉太郎はそうやって歌うことを想定していました。だから1番と2番はメロディが違うの。<見ずやあけぼの 露あびて>(“び”の音程が、1番の<隅田川>の“が”の音程よりも低い)と、“び”が高い音程だと“び”が強くなって響きが汚いんですよ。だから2番の歌詞は優しく“び”を響かせられるように、「2番の歌詞はこのメロディで歌ってください」と注意書きが譜面にある。それはなぜかというと、日本語のアクセントと鼻濁音を活かしてほしいから。あと、日本語というところで今の方たちは「ヤバい」ってよく言うでしょ? ラーメンを食べて美味しくても「ヤバい」なんだから。

――そうですね。全部「ヤバい」で片付けている部分はあります。

 TwitterもLINEもショートセンテンスだから、長い言葉で何かを表現するということが今の人はボキャブラリーがないので上手じゃありません。そこが凄く残念だなと。水野君のいる「いきものがかり」は現在のグループのなかでは、とても日本語を大事に歌ってくださるけれども、歌い手に与える自由はまだ少ないんです。それが良いとか悪いとかではなくて、やっぱりこれが世代なんだなというのは感じています。

この記事の写真

記事タグ 

コメントを書く(ユーザー登録不要)

関連する記事