お酒の作り方に似ている楽曲制作
――楽曲制作についてお聞きしたいのですが、どのように制作していくパターンが多いですか。
基本、スタジオに入ってギターを弾いて作るパターンが多いです。そこで弾いたものを一度持って帰って、朝もう一度チェックします。起きた時に頭の中が整理されていて、あとはそれを形にしていくだけです。
――MIYAVIさんは「曲を書くぞ」という感じで制作に入られるタイプですか。
どちらもありますね。ギターを持ってから書くこともありますし、頭の中に浮かんだものを具現化することもあります。お酒の作り方と一緒で、お酒だったら加熱してカビを混ぜたり酵母菌を繁殖させて、そこからまた寝かせて温度を下げてという過程がありますけど、曲作りもそれと似ている部分もあるのかなと僕は思っています。アイデアが生まれて初期衝動で一気に書くんですけど、そこからまたろ過していくという作業が、結構大事だったりする。
――その中で、先ほど印象的だった曲で挙げて頂いた「Me and the Moonlight」はどのように制作されましたか。
基本、これもセッションしながらなんですけど、当初、LAのライターチームと最初のモチーフを作っていきました。そして、Yunaちゃんが参加してくれることが決まって、そこから彼女と一緒にメロディを詰めて、ギターソロの音色も変えたりしていく作業でした。なので、何パターンも違うギターソロのバージョンがありますよ。
――どの曲も何パターンも作るのでしょうか。
曲によっては作ります。まず降ってくるものを全て出す、その上でろ過してベストなものをピックアップしていく感じです。なので、最後の最後で全然変わったりすることもあります。ミリヤちゃんの曲も最初はエレキだったけど、彼女の声を受けてアコギに変えたり。でも、逆に1曲目のサミュエル(・エル・ジャクソン)に参加してもらった「Worlds Collide (Intro)」とかは、デモのままです。
――サミュエル・エル・ジャクソンさんが参加されていたのはびっくりしました。
そうですね。ぶっちゃけ半分ネタみたいですけど、夢があるじゃないですか?ああいった一流の人がMIYAVI の作品に参加してくれること自体。作業自体は、ある程度こちらで流れを作った上で、一緒にスタジオに入って、最終的には彼の方でセリフをアレンジしてもらってレコーディングしました。それを受けてまたこちらも楽曲の流れを調整して。結局、3テイクくらいでオッケーテイクを出してくれました。声の説得力など本当に素晴らしかったです。声に腰が入っていて、本当に濃くて、太い。
――声の存在感が素晴らしいなと感じました。続いての「Rain Dance」はおなじみのKREVAさんと三浦大知さんが参加されていて、クールな楽曲に感動しました。
ありがとうございます。クレさんも大知くんも本当に気持ちを込めて熱いパフォーマンスをしてくれました。今、これくらいまっすぐ同じ熱量でやれる人もなかなかいないので、初の三つ巴、やってて気持ち良かったです。
――この「Rain Dance」はどのようなきっかけで生まれたのでしょうか。
世界情勢も含めて、僕たちは今またすごい過渡期に生きているなと感じています。もちろん戦争があった時代に比べたら平和な時代だとは思う。だけど、また今、反動で世界がまたバラバラになってしまうかもしれない。それくらい緊張感のある時代だと僕は思っています。各国の動きを見ていてもそれぞれがどんどん孤立していく中で、未来に向けて進むべき道に帆を向けられるかどうかは、僕たちに掛かっている。たとえ土砂降りでも槍が降ろうとも、迷わず凛として進み続ける、そんなイメージで作り上げていきました。
――MIYAVIさんは世界に出られて肌でそれらを感じていますけど、日本はかなりに恵まれている方ですよね。
はい、それはすごく感じますね。僕自身もある種“ゆとり世代”みたいなものなので。やっぱり40年前、50年前と比べたら、僕らの世代は恵まれているし、守られている。豊かであることは国としては良いことだとは思いますけど、じゃあその国を出て一歩出てサバイブしていくときに、そこに甘えてしまっていることが良いことなのかどうか、それは成功の価値観もそうですし、自分との向き合い方もそうです。本当に日本人が心の底から「日本最高!」と言えているのかな、って、思う時はあります。
――日本だけで他を知らないというのが大きいかもしれませんね。大変な国に行った時に日本の素晴らしさを改めて感じられる気がしています。前にテレビで拝見したんですけど、MIYAVIさんが訪れた紛争地域の子どもたちは、そんな危機的な状況でもすごく希望に溢れた目をしていて。
子供たちは強い。だからこそちゃんと導いてあげる必要がある。愛することだけが愛じゃないと言いますか。突き放すことも愛だし、それを自分たちがもっともっと理解してあげて、教育にしても政治にしてもやっていかないといけないんじゃないかなと思います。戦後、ひたむきに頑張ってくれた先輩たちの上にあぐらをかいていてはダメだなと今、非常に強く感じています。