SNSではなく音楽で発信、桑原あい ジェンダーを超えた自分の音
INTERVIEW

SNSではなく音楽で発信、桑原あい ジェンダーを超えた自分の音


記者:小池直也

撮影:

掲載:18年08月25日

読了時間:約15分

裏テーマは「女性として音楽する」

桑原あい(撮影=冨田味我)

――今作では多彩な演奏陣も目を引きますね。武嶋聡さん(sax,fl)とはどの様な経緯で共演されたのですか?

 武嶋さんは今回が初共演です。サックスだけではなく、リード楽器の奏者の方を入れたいという気持ちがまずありました。彼はEGO-WRAPPIN'などで主に活動されていて、ジャズフィールドの人ではありませんが、アドリブの部分も素晴らしいんですよ。やっぱりジャズをずっとやっている人とは世界観が違うので、いい意味の違和感があった。それを探していたんです。ジャズの人だったらまた違う匂いになったと思いますよ。色々な人が「適役だ!」と言ってくれるんです(笑)。

 「MAMA」での多重録音も私からお願いしています。最初はピアノトリオでやっていたんですけど「Cセクションで絶対サックスが欲しい」と思って。サックスで3つの和音、いわゆるCメジャー(ドミソ)の和音やDメジャー(レファ♯ラ)の和音が欲しかった。音もテナーサックスだけにするか、アルトサックスだけにするかとか、色々考えていたので、武嶋さんに相談しながら決めました。

――「MAMA」にはラップも入っていました。

 はい。その後もやっぱり何かが足りないなと考えてたら「言葉だ!」と思い浮かんで。そこでDaichi Yamamotoくん(rap)にお願いしました。めちゃくちゃ探して見つけましたね。「MAMA」はベースラインがメロディみたいになっているのですが、母と私がケンカをした時に腹を立てて作った曲なんです(笑)。よくよく考えると、私は母に気持ちをわかって欲しかったんです。1番わかって欲しい相手にわかってもらえない腹立たしさって、愛情という部分も含まれてくるじゃないですか。だから「MAMA」は愛の曲だなと。なのでDaichiくんには「この曲はお母さんへの愛を歌うリリックにしてほしい」とお願いしました。

 そうしたら、Daichiくんがお母さんの生い立ちを書いてくれました。彼はジャマイカと日本人のハーフなんですけど、お母さんが日本に暮らし始めた頃は偏見があったそうで。電車ではいつも隣が空席だったとか。母の生い立ちから自分が生まれたところまでリリックを作ってくれました。それを読んだ時に私は愛するという事に関して、改めて考えさせられたんです。このアルバムには「自分が女性として音楽をする」という裏テーマもあったので、そことも不意にリンクしていた。なので、この曲は私とDaichiくんの母への想いが交差して生まれた楽曲なんです。

――裏テーマの「女性として音楽する」ということがあったというのは?

 何でそう思ったのかわかりません。年齢のせいですかね(笑)。27歳になるんですけど、母親との会話の中でも今までわからなかった気持ちが理解できる瞬間があったり、親戚に子どもが生まれたり。世の中の動き的にも、自分が女性に生まれて感謝する機会が増えました。

――世の中の動きというと、ジェンダーなどの問題ですか?

 そうです。ジェンダーについては、私が提示するまでもなくDaichiくんがラップしてくれました。それから「919」は2015年に安全保障関連法が可決された日付をタイトルにしています。今の日本の政治について難しさを覚えて「これは何かが違う」と感じたんです。日本は特に、ミュージシャンやアーティストが社会や政治についての発言をするとちょっと拒まれることもあるのですが、人として意見を持つこと、発言することは大切なことだと思います。

 でも、私は日本人だからこの世界を全て嘆くわけにもいきません。ここで生きていくわけですから。ただ、発言する事はいいじゃないかと。SNSで言うのは苦手なので、曲にしたんです。3年前の曲で政治的な事もあるし、ユニークな曲だから個人的にアルバムに入れる事はないかなと思っていましたが、今回『To The End Of This World』という大きなタイトルが決まった時に「入れた方がいい」と。「この世界」というのは、日本に当てはめる事もできるので。今しかなかった。前触れもなくアメリカに行ってしまうかもしれませんが(笑)、今は日本でやっていこうという気持ちなんです。全ては感覚なので。

――女性ミュージシャンである事に、難しさを覚えた事はありますか。

 全然ないですね。女性だから機会が少ないと思うのであれば、まず自分の音を見つけなければいけないんじゃないですか。それは女性とか男性とかではないと思います。例えば桑原あいが必要なのであれば、私が男でも女でも関係ないわけですし。そういう個性を見つける必要があると思います。

――アメリカでは初の黒人女性ジャズピアニストのメアリー・ルー・ウィリアムスさん(1910-1981)のトリビュート公演などもおこなわれているそうです。そういう先人についてはどうお思いですか。

 すごい、というだけですよ。本当にすごいと思います。あの時代に始められたというのがすごい。今は時代がこうだから私も「自分の音を見つけなきゃ」と言えますが、当時はそういうレベルじゃなかったと思うので。そういう時代にあってこういう人がいたという事に対してすごくリスペクトがあります。私の大好きな映画の『ウエスト・サイド物語』は1961年に作られていて、あの創造力は本当にすごいと思います。音楽を担当したレナード・バーンスタインも、全部役者が演じているのもすごい。

 時代に寄り添って音楽をやるのは、50パーセント大事だと思います。残りの50パーセントは己がないと死ぬと思います。少なくとも私は死んでしまうなと思う。例えばプレイヤーでいうと「命の音がする人」が好きなんです。先日オルガンのドクター・ロニー・スミスのライブを観ました。その時に「生きてる」って本気で思ったんですよ。彼はもう76歳。思い出だけで生きていける様な人が、今でも生きた演奏をしているという事がすごい。私も死ぬまで諦めたくないんです。芸術の感性は人それぞれなので私は断定する気はないですけどね。ジャズピアニストの先人で、死ぬまで自分の音を出していた人には憧れますよ。

――穐吉敏子さん(1929年生まれの日本人女性ジャズピアニスト)についてはどう思われますか。

 穐吉さんに関しては色々な事を聞きますけど、今でも4時間以上毎日練習しているというような話を聞いたことがあります。その話を聴いた時にぶっ飛びましたね。私にはできないと思いました。しかも練習部屋は確か山の上にあるとかで、いつもそこまで登っていって練習しているとか。その精神がすごいですね。穐吉さんはずっと創造しているんだと思います。そういう80歳に自分もなりたい。

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