生活をそのまま歌う、SHE IS SUMMER 音楽は本当の自分への過程
INTERVIEW

生活をそのまま歌う、SHE IS SUMMER 音楽は本当の自分への過程


記者:榑林史章

撮影:

掲載:18年08月05日

読了時間:約13分

何とも思ってないときにこそ写真を撮る

SHE IS SUMMER

――また、「会いに行かなくちゃ」は、LUCKY TAPESの高橋海さんの作曲・編曲で、ピコピコした音がいい味を出していますね。

 ちょっと、とぼけた感じがありますよね。ずっと昔から、私の声質的にラップが合うんじゃないかと思っていたけど、チャレンジはしたことがなくて。それで高橋海くんに、ラップっぽいことをしたいと伝えて作ってもらいました。

――水の落ちる“ポチャン”という音が入っていて、曲の最後はどんどん水の底に沈んでいくような雰囲気だなと思いました。

 最初にそのアウトロのフレーズを聴いた私と片寄さんが、すごく気に入ってしまって。「なんて気持ちいいんだ!」と。でも、どこにこのフレーズを入れるか悩んでいたんですよね。それで私が、大胆にも「アウトロにくっつけたらすごく気持ちいいと思う」と提案して、試したらすごくいいということになって、こうなりました。

――最初は、「あれ?」って、違う曲になったのかと思いました。

 そうなんです。いきなりテンポとかも変わるし。それも含めて、次の曲の「未知を探す」にかけての繋ぎなのか? とか、曖昧になる感覚も気持ちいいです。

 この曲を最初に聴いたときは、雨が降っているのに晴れている、狐の嫁入りみたいなイメージが浮かんでいて。高橋海くんがもともと水っぽい音を入れてくれていたのもあって、夕陽の中でザーザー雨が降っているようなイメージのアウトロになったかなと思います。

――ちなみにですけど、個人的に井上陽水さんの「傘がない」という曲を彷彿しました。その曲のシチュエーションも雨で、歌詞に<行かなくちゃ>という言葉が出てきて。鬱屈とした時代だけど、自分は好きな子のところに行かなくちゃいけないと歌っている、70年代の若者の無関心感とか世の中へのシニカルなメッセージが表れている曲なんですけど。

 その曲は何となく知っていて、すごくわかります。確かにその曲とすごく近いところにありながら、でも私は、逆のことを歌っているのかもしれないです。その曲は、世の中で何が起きていても、自分は会いに行きたくても傘がないと歌っていて。そこには、どうあがいたって、世界の時間の流れの中に、取り込まれていってしまう自分がいる。その感覚は、私の曲にもぼんやりあるような気がします。何て言ったらいいのか、うまく説明できないのがもどかしいですけど。

――こういう歌詞は、どういう時に浮かぶんですか?

 例えば夕立ちを見つめながら、とりとめのないことがポツリポツリと浮かんでは消えてを繰り返していくような瞬間が、私は1人でいるときによくあって。そういう、何かをちゃんと考えようとしているときではない時に、浮かんでくるものこそが、意外と核心を突いているような気がしていて。そういうどこから降ってくるのかもわからないような空白の時間を、作詞をする上ではすごく大事にしています。この「会いに行かなくちゃ」は、そういう時間の感覚を詰め込んだ感じなんです。

――「未知を探す」は、ストリングスが入っていてドラマチックなサウンドですが、この歌詞はどんなイメージで書いたんですか?

 曲を頂いたときに、川沿いの土手で夏が終わりそうな時期の風が吹いて、ちょっと涼しく思う瞬間に感じるような、寂しさだったりするものが浮かびました。私は常々歌詞で、時間によって変わっていくことの切ない気持ちや、不条理に感じることを書くことが多くて。いつも時間が過ぎ去っていくことに心を痛めているんですけど…。変わってしまうことに切ないなんて思えるのは、変わって欲しくないものを手に入れられているという、豊かな心が想像した、きれいなものだと思うんです。そういう美しいものを思い起こすメロディだったので、そういった気持ちを詰め込みました。

――日々の移ろいに切なさを感じ、その瞬間を歌として残すのは、どこか写真を撮る感覚に近い感じもしました。MICOさんは、写真を撮るのも好きだと思いますが。

 好きですね。一時期は日記を書くように、毎日写真を撮って残すようにしていました。

――忘れたくないことや、残しておきたいことがあった時にシャッターを切るんですか?

 大事だなと思ったことは放っておいても忘れないから、逆に何とも思ってないときに撮ることが多いです。何とも思ってないことこそ、残しておかないと、絶対に忘れちゃうから。例えば、海外旅行に行った時のことはけっこう覚えているけど、日常でパンを食べようとしてジャムをこぼしたとか、きれいにパンが焼けたとか、そういうことって覚えてないですよね。でも、きれいにパンが焼けた日のほうが、海外旅行に行った日よりも美しい1日だったかもしれなくて、それなのに忘れしまうのが悲しいから、それでわざわざ撮ったりしていて。

 少し前まで友人とルームシェアをしていたんですけど、その子との写真も、どこかへ一緒に遊びに行ったときよりも、部屋で普通にテレビを観ているときとか、何もやっていないときの方が写真をたくさん撮っていました。そのほうが、あとで見返したときに「撮っておいて良かった」と思うんです。

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